1988-10-28 第113回国会 衆議院 決算委員会 第8号
○浜田(幸)委員 経企庁長官、中尾長官にお伺いしますが、これは予算編成前にこういう問題が、世界の中における日本のあるべき姿として、閣議の中で発言されたことがありますか。
○浜田(幸)委員 経企庁長官、中尾長官にお伺いしますが、これは予算編成前にこういう問題が、世界の中における日本のあるべき姿として、閣議の中で発言されたことがありますか。
○田村国務大臣 中尾長官が答弁いたしましたことで尽きておると思いますけれども、私は先ほど日本企業、日本人の英知とバイタリティーという言葉を申し上げました。一部気の毒な中小企業、とりわけ零細企業等あることはお互いに認識して、その対応を進めなければならぬことは申すまでもありません。しかし私は、災い転じて福となすという言葉を日本人は実際にやってのけたというのが偽らざるところだろうと思います。
ちょうど中尾長官もことにおられますのであえて申しますと、私は去年のOECDも出席いたしましたが、去年のOECDは日本に対する非常に厳しい対応でありまして、各国の代表が述べます一言一言が針で刺されるような感じでございました。
○福間知之君 今サーベイランスの話が再三出ていますが、中尾長官も何か報道によりますと、世界的構造調整の期間を一九九二年までの五年間とするように御発言もなされたようでもございますし、田村通産大臣もサーベイランスのための四つの指標を提起されたと聞いておりますが、どのような中身でございますか。
○佐藤昭夫君 十三日の閣議におけるやりとりについては答弁を控えたいというふうにおっしゃいますけれども、確かにあれをなかったことにしようといったような官房長官の発言なんかもあった模様でありますけれども、しかしこれは、例えば十四日付の人民日報にも、中尾長官が奥野発言は間違っていないと弁護したという報道などが出ております。
中尾長官は五月十三日の午前中の閣議において、「奥野さんの発言は間違っていない。何でも中国にこびを売るような態度はうなずけない。」と発言をされたと報道されておりますけれども、事実でしょうか。
中尾長官にはあと一問。例のODAというのですか、対外経済協力の援助の問題。これは経済企画庁も一つの役割を持っておみえになるわけでありますけれども、これをふやそうという方向が出ております。
農地改革から農業基本法、そして今度の開放経済、自由化というふうに、内外から農業が注目されている状況の中で、経済企画庁長官として既に農業問題については非常に豊富な経験と経歴をお持ちの中尾長官から、とりあえず見解を承りたい。
そういうことで、私どもも、ここに企画庁長官もおられますが、中尾長官の、あるいは宮澤大蔵大臣の御協力を賜りながら遺憾なきを期してまいりたい、このように考えておる次第でございます。
○国務大臣(宮澤喜一君) 先ほど申し上げましたように、財政自身の再建ということも実は日本経済が順調に推移をしてくれませんとなかなか難しいのでございますので、かえって財政自身が日本経済の順調な推移のためにある程度の貢献をするということは、中尾長官のお考えになっていらっしゃいます目的に沿うものであると思っておりますものですから、財政も先ほど申しましたようなNTTの関連のこともございまして、これは恐らく数兆円
はっきり申し上げておきますが、実は今もこの分館に入りまして、経済企画庁首脳、はっきり申し上げて長官、中尾長官に廊下で会いました。そしてまた、きょうのニュースのことについてもいろいろ私の耳に入っております。
経済企画庁、中尾長官ですね。そういう事実があるのでしょうか。
中尾長官を補佐いたしまして我が国の一層の経済発展、国民の生活の安定向上に努力をいたす覚悟でございます。 委員長初め、委員各位の一層の御指導を心からお願いいたしましてごあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
中尾長官のもとに、日本の経済の発展、そして国民生活の安定・向上のために全力を尽くして頑張ってまいる覚悟でございます。 委員長初め、委員の皆様方の一層の御指導、御鞭撻を心からお願いいたしまして、ごあいさつにさせていただきます。よろしくお願いいたします。(拍手)
中尾長官のもとで、私ども、日本の経済のますますの発展、国民の生活向上に一層の努力を尽くしてまいる覚悟でございます。 委員長初め諸先生方の一層の御指導を心からお願いいたしまして、ごあいさつとさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手) ————◇—————
前の中尾長官時代に、国有林を開放するということは、結局木を切つてしまつて、ほんとうの趣旨に沿わないようなことをやるからというようなことでおりましたが、私が朝鮮において植林に関係したことをよく知つておる上から、遂にこれを許すようになつて、そして七百町歩のあの山形県人高根村の奥の葉山の北の中腹を開発した。私は松岡開拓団を組織して、町の観音郷という新しい村をつくつた。